2007年07月12日

「思い出の石鎚山 」            ちゃとらんくん

思い出すたびに悔しくなる出来事なんてのは生まれてこのかた26年間、そりゃもう星の数ほどございます、
負けず嫌いですから(笑)で、偶然見つけた愛媛 新聞の「石鎚山お山開き」の記事を読んでハタとよみがえったのが小学2年生の頃に初めて登ったときのこと。
「お姉ちゃんは鎖の穴に足かけてスイスイと登っていくのに、あんたはもう完全に怯えてしまってね。鎖場の途中のところでピタリと止まってしまって動けな かったのよ」との母の言葉通り、本当にあの時は崖にかけられた太くて重い鎖を抱きしめながら「おうちに帰れないかも」と涙ながらに思ったほど。
どうにか 登りきった(らしい)1本目の鎖でもう心底イヤになり、残るあと2本の鎖場を尻目に母と遠回りの『巻き道』を歩いたのだった。が、そのくせ辿り着いたは ずの頂上での記憶が全くない。今思えば全ての鎖を登り切った姉への敗北心(なんじゃそら)を認められず、悔しくて景色どころではなかったのかもしれな い。
姉は3つ上の5年生だったが、そんな年の差などどうでもいいくらい、私は負けず嫌いの子供だった。
確かそのあともう一度石鎚山に登ったのだが、そのときはそのときでこれまたひどい雨に見舞われあたり一面真っ白な霧の中。鎖場どころか山道の足場さえ ハッキリと見えず、あやまって足元を滑らせズリ落ちそうになった私の体を父がどうにかつかみ取ったのだという。
「―もう子供を連れて山には行かない」。 そう父が心に決めた瞬間だったということを、20年近く経った現在、初めて知った。
あの時の私が覚えていることといえば登りながら父が口に放り込んでく れたチャイナマーブル(アメ玉)がものすごく美味しくて元気が出たことと、頂上付近で「いま、雲の中だよ」と言われてびっくりすると同時に「雲がワタガ シではなくてただの白いケムリだった」と知ってなんだか残念だったこと。
当然、山頂からの景色は霧で全く見えない。恐くてしんどくて、寒かったことを覚 えている。
「そうか、あれから20年近くも経ってしまったのか。もう一回ぐらいは登っておかなきゃなぁ」
愛媛新聞を手にボンヤリと幼い頃に思いをはせていると、本当にそう思ってきた。
そこで会社のみんなに「山、登りません?」と言ってみる。もちろん賛成す る者なんてひとりもいないのは分かっていた。みんな、昨日まで徹夜同然で働いていた者ばかりだったし、だからといって決して体力自慢というわけでもなかったからだ。
しかしながら考えれば考えるほど何が何でも石鎚山にリベンジしてみたくなった私は「遊ぶならもっとラクしたい!花火見ながらビアガーデンとか」「東温市 のジョイグリーン(フットサル場)でバーベキューとか」など数々の『らくらくコース計画』(笑)を半ば強引に押し切ることに成功し、あれよあれよという 間に1泊2日の石鎚登山計画をホワイトボードに書き込んだ。ネットでコテージを調べるとちょうどいい具合に見つかったのでその場で予約、出発は翌日 (!)の7月4日に決定した。
心の準備も体の準備も荷物の準備も天気の心配さえも全てを成り行きに任せ、行きたい者も行きたくない者も、強制参加にし た。
「いっそのことドカ雨で中止になってくれ!」と半分以上が心の中で叫んでいたのはいうまでもなかったが、あえて知らないふりをした。過去2回登ってあま り良い思い出がない私がいうのもなんだが「きっとみんな、山頂についたら分かってくれるに違いない」と、なぜか自信満々に思っていたからだった。 …ってありゃりゃ。ごらんのみなさま前置きが長くてゴメンナサイ。
それでは次回、「いざ石鎚へ!」(仮名)をお楽しみに…と思っていたら、明日いきなり 出張行けって言われて書くのが遅くなりそうです(我が社はいつもこんな感じだ)。ので、やっぱり写真も少し載せておこ〜っと♪(なんのこっちゃい) 写真を見つつ、我々の短くも長い2日間をご想像ください。
posted by スタッフ at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時の歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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